教育のおかしさや上流の教育環境
こんな記事を読んで、これを書かないわけにはいられない!
まさに僕が考えてきたことと同じだった!
僕にとって「頭のいい」ひとたちは何を考えているのかわからない、ということがある。「天才」と呼ばれるほどの業績を残すひとにとっても、心理的な問題はやはりあるのだなと知った。
あれだけ努力をしたのに、「天才」や「頭がいい」のひとことで一蹴されてしまう。また、下の学校になるほど、教師が無能で馬鹿な子供の注意もせず、少し真理に通じている子供は居場所を失くすという事態に陥る。
また、上流の学校では幼稚園の時点で虚数やガウス平面の存在を知っているというのが驚愕だった。(やることが早すぎる!これじゃ差が付いて当たり前じゃないか!)また、shi3zさんは小学校の時点でコンピュータの一般書を読みこなしていたというのも驚きだった。(レベルが違いすぎる)ちょっと上流学校の教育様相が垣間見えたような気がした。とても参考になった。
100mを10秒台で走る人がゴロゴロいたからって、100mを9秒台で走る人もゴロゴロいるとは限らない。
だとすれば100mを9秒台で走れる人はやはり素質があるのであって、これは努力だけではどうにもならないことだ。
子供の頃はそれを認めたくない。全ての人が平等であると教えられるし、それが正義であるかのような価値観のもとで育つからだ。
しかし実際には全ての人は生まれながらに平等ではないし、それあたかも平等であるかのように扱うのは欺瞞だと思う。
人は皆、平等なチャンスを与えられるべきだが、平等な生き方を選択することはできない。僕は倒れた親父を放っておいて好きな仕事に専念することはできないし、社員を放り出して一人で自分探しの旅にでかけることもできない。
これが持って産まれた宿命だし、仕方のないことだと思っている。ひとはみな、それぞれ宿命を背負っているはずで、その重さは平等ではない。平等だと言う人がいるとすれば、それはそう思いたいだけなのだと思う。
教育はすべての生徒を同じ能力、素質だと仮定し、もはや疑わない状態で根性論のみで学習を推し進めようとする。各人に家庭環境による精神的な経緯があっても学校ではそれを無視し、努力しないから駄目だなどと一般論を口にする。しかし恰も全ての人間が同様の能力や環境を備えて学習に望むような幻想を抱くのは無理であり、難しい発達という現象を大雑把に捉えすぎて、結局望むような教育成果が得られていないという現実。そしてそれは生徒本人の努力が悪いからだと一蹴する。
他にも、能力についても共感することを言っている。人間は脳が少し傷ついただけでも変化があるのだから、才能の素質というものは確かにあって、努力や革新的なことをするというのは当然だが、育った環境なども含め凡人と天才(頭がいい人)を区別できる方法はやはりあるのだなと知った。
何より、僕が今まで考えてきたことと同じようなことを言っていて、ここにきてやっと自分の考えが間違ってなかったと信じられるようになった。shi3zさんのバックグランドに裏打ちされてこんなこと言っているのだからほぼ信頼できるだろう。
教育は間違っているし、学校というコミュニティのおかしさ、教育環境の差異、世間の知性への認識の誤り、心理的強迫観念の共通、上流幼児教育の高度さ、すごくためになった。子供は無知ですぐ大人に騙されるということも確信した。密度の濃い文章で、やはり(見た感じ騒がしくなくても)人間はいろんなこと考えているのだなと思った(心理的な意味で)。こういう文章が読める時代というのは実に恵まれているのだなと思う。
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こんなものが。
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天才を変態に置き換えるブックマークレット – てっく煮ブログ public domain
ちょっと言葉を変えても理解されないという点ではいろいろ共通しそう。
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05.11.08












