Archive for 2008/07


弱肉強食

久しぶりに携帯電話を使ってみた。これははっきり言って”ぼったくり”である。ちょっとしか使ってないのに高額な料金を請求されるうえ、店員の説明には不十分さをぬぐえず、時には悪質さを感じるうえ、知らない間に勝手に付加サービスに加入していたりと正にぼったくり的要素が満載である。無駄に契約に時間をかけるうえ、華やかな店内や盛大な広報を維持できるのはこういう要素があるからなのだろう。
また、文字を打つのも普通にPCの数十倍以上掛かるうえ、結局たいした情報を得られずに、豊富な機能も形だけという点ではぼったくりとしかいいようがない。しかし、世界に生きる多くのひとは文句に対応している時間がないため、結局泣き寝入りして受け入れるしかないようになっている。世の中は悪いことをする人間が勝つようになっている。ここでは情報量の格差というのも大きい。PCを使わない非デジタルなひとからすれば比較などできず、始めからそういう世界があるとも知らずただ状況を受け入れるしかないようになっている。
人間が文句を言ったり暴力に訴えかけるというのは当然のことのようにも思う。自分の思うことの正当性を表現しる手段や時間がないからそういうことをする選択肢しかないのだろう。言葉や理論など現場では実に弱く役立たない。常にごまかしがあり弱い者は虐げられている。だから人間は歪み戦争状態になるのだろう。そこにはどんな”基準”も通用しない。

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生活

 
 
生きるのは楽ではない。風呂にも入れず一日中肉体労働するひとも都会には沢山いる。生活に金がかかるため、”当然”程度の生活もできないひとが沢山いる。もしかすると彼らには選択枝がないのかもしれない。新聞奨学生のため朝早く起きて新聞配りに汗を流しまともに時間を取れないまま見知らぬ土地であくせくし、おしゃれも”清潔”も余裕とも程遠い世界で生きる人々。確かに彼らは身分的には充分ではないが、決して見下しの対象になるような人間ではないと思う。彼らは強い。人間の力はそういったところで判断されるものではない。
基本的に情報を得るということが困難なために、選択枝がなく効率とは程遠い生活を余儀なくされているひとたちがいる。今の私はインターネット環境がないがやはりそれはそれで困難である。批判も文句も効かない世界で、ただそれを容認するしかない世界。
数学ショートプログラム―大学への数学 (パワーアップシリーズ)
新課程スタンダード数学演習1・2A
新課程オリジナル・スタンダード数学演習3C 受験編
大学への数学シリーズは基本的に良質である。

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プロローグ – 序章

 
 
生活というのはそれだけでハードだということを感じる。東京に来て新たな世界を知った。今までの流れでは出会えないような境遇の人と出会えた。いずれ経験することになるのだろうけど、ドラマのような世界が本当にあるというのが驚きでもあった。いろいろと考えるところがあった。
私はこの企画で必ず成功する。自分の存在する沸々とするエネルギーを感じるし、それを与えられた。素晴らしい経験を与えてくれた相手の方に感謝をする。いろいろなことを知りすぎて、些細なことなどどうでもよくなった。何気ない暮らしが多くの情報を与えている。人間が沢山いるところではそれだけで多くの刺激に為りうる。この機会を最大限に利用したい。
 

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生きる力

 
 
さて、明日は出発だ。東京に出て勉強生活を開始する。荷物を送ると部屋ががらんとする。少し物寂しいあの雰囲気。いつもより少し遠くの音が響く。部屋が片付いた。そんな状況だ。
私は力がない。第一やる気がない。それにはいろいろな理由があるが、物事をもう中途半端にしたくないというのがある。私は医師になろうと夢を抱いた。しかしそれはなかなか上手く行かず自分について考えた。思い悩むばかりで寧ろ選択枝がなくなった。行動はジレンマに抑制された。今の私が仕事で働いたとしてもあまりやる気がないだろう。こんな自分でいいのかと考える。夢の途中まで走っていたのでこんなところで別の方向に行きたくない。私は飽くまで医師になる人間であり、そうでないものは受け付けなかった。夢崩れの人生など生きている意味があるのか。私にとって人生とは運命へ抵抗。できそうもない夢を実現するために難しい人生を生きる。それが私に与えられたゲームだった。だからそうでないもの、道に外れるものは受け付けなかった。すべてが中途半端など嫌だ。何かひとつでも自分ならこれが誰にでも誇れるという絶対的なものが欲しい。器用貧乏のようにいろんなことに挑戦して結局全部半人前で終わるのは駄目だ。何かひとつでも世界的に優れたものになりたい。そのために、私は運命に抵抗する。
配送屋のおじさんは私の定義で頭良いとはいえないけど、彼は彼なりに力がある。きっと私以上に生命力が強く、皮一枚の状態で生きているのだろう。私はそういう仕事人のような元気は得られない。今の私はきっと新しい仕事を得ても厭世観ばかり浮かぶのだろう。私はそういう生き方を選ぶのではない、私は医師になると決めた。それが私の生きる道だ。達成しないまま脇見をしたくない。私は自分の決めたことを追い求めるだけだ。まだ勝負は終わっていない。
東京に行けば、インターネット環境がないのでブログも更新できないかもしれない。場合によってはモバイルから投稿することも可能なのでそちらから考えて見たいと思う。

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不可解

 
 
言葉にしなければ何も考えていないのか、感じていないのか。考えていることがシンプルすぎて疑うまでもなく、またそれで不変のときは一々いろんな言葉を持ち出す必要は無い。考えていることが少ないだとか、何もないとかではなく、それで完結しており、言葉というシニフィアンsignifiantに表れるだけでシニフィエsignifieが同じとは限らない。..
不可解という概念に出会った。当時の私は不可解だった。高校生の頃は自分は理解されない不可解な人間だと思っていた。事実そうだった。理解されることのないからこうしてブログで自分を少しずつ表現しようとした。
不可解という概念は強くて、他人の理解を求めない。「私は不可解な人間である、だからあなたに理解は求めない、だから私は私のやりたい道を進む。」こういった考え方もできた。当時の私は自分を「不可解」と表現していた。そこでの「不可解」は他人の許容や理解を求める必要がないため、唯我独尊自分勝手に思うことを突き進むことができた。しかし、浪人して私は自分を深く考え直して見た。私は自己愛性人格障害であった。それを直したかった。だから浪人してからは相互理解を理念として掲げた。私は他人を見なければ自分の正しさが分からない。自分勝手に進むことはできない。だから私はインターネットやブログでの反応を一々気にした。私に対する反応を空かさず窺っていた。私とはどういう人間だろう-。
高校までの世界は他人を気にする必要はなかった。またそもそもそれが普通だと思っていた。相互理解など存在しない。私は誰からも理解されない、そう思っていた。私の説明能力もないとは感じていた。すべての世界がアバウトであり、繊細さなどないと思っていた。間違いだった。
勉強するにしても行動するにしても不可解だと始めから括ってしまえば私は何も躊躇することはなかった。他人などどうでもいい、そう思っていた。しかし、私は広い世界を知った。上京して全く違う世界を見た。衝撃を受けて、私は自分を根本から変えようと思った。私に足りないもの-それは他人の理解を気にする力であった。私は自分をもっと公共にオープンにする必要があった。自分の考えを他人に理解してもらえるよう考えなければならなかった。
世界はシンプルだけど、それでは面白くない。私は捻くれていた。捻くれるというのはそれだけで力になる。自分の都合のよいように見かたを変えて、生きる力を生み出す。リビドーと生命力にも似た関係がある。世界はシンプルすぎるから逆に捻ることによって面白くしようとしている。人間はそのままでも現象を正しく感じることができる。リビドーのような生命力に人間の認知は都合の良いように曲げられる。
試験勉強とは基本的に不可解である。記憶はかえって捻くれていたほうが印象に残り易い。(シンプルな世界をそのままに解釈しないのはこういったところとも関係があるかもしれない。)始めから不可解だと思っていたほうが、記憶できたりする。整然として繋げようとすると無理が生じる。そもそもその繋がりなど分からない。はじめから「分からない」のだ。同時に不可解とは誤魔化す手段でもある。
自分に足りなかったもの、忘れていたもの、記憶の仕組みなどが分かったような気がする。ただ研究するならば筋道を一貫して通したほうがいいというか、そうしなければならないので、また違った解釈の仕方も理解しなければならない。
追記:
私は自分を不可解だと括っていた。不可解というのはある意味面白い。自分でもなんとなく楽しかった。
でもこれは自分を欺きやる気を出させる方策だった。始めから深い理解など存在しない。だから適当に意味のないことを書いて誤魔化せばいいと思っていた。それも「不可解」、自己を表す言葉として間違ってはいない。
シンプルなのはなんだかかっこいいけど、シンプルというのは行動もシンプルで冒険がない。何も出来ない。思った以上に面白みのない世界だ。私の今の生活はシンプル過ぎるけど、このままだと生きていられなくなる。誤魔化して自分で意味を創って、それを感じて。それでいいじゃないか、とも思えてきた。
いろんな服を着て飾って化粧して、別に嘘の世界でもいいじゃないか。それが人間に生命力を与える力になるのだ。「ありのまま」ではないけど、それはそれで面白いし、実際に本当のことは人間感じている、理解している。だからある程度偽ってもそれでもしかしたら上手く行くのかもしれない。
私は完璧を求めたい。完璧というのはそこに他者がある。他者がいなければ完璧という評価は与えられない、得られない。他者を交えて初めて完璧だと認識される。-完璧になりたい。でもそれには嘘をつくのも必要なのだって分かった。薄皮一枚剥いだらなんでもないものだったなんてでもいい。でもその薄皮一枚があるだけで、人生が豊かになるなら、発展できるなら、それもいいのではないかと思った。
不可解という概念は面白い。始めから自分は誰にも理解されないと謂わば投げやりになっていたのもあってこれを言っていた。でもだから自分の道を進むことができた。周りが何をしてようと自分の思うこと信じることを突き進むことができた。周りの評価が悪くても立場が悪くなっても周りを見ずにやってきた。でもそれでいいと思っていた。私は不可解なのだからって。

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リビドー

 
最近は出発気分である。何をするにも心許ない。ただ調整で時間を待たなければならないので、気持ちが早る。
最近の私は変わった。いろんな邪念を振り払えているかもしれない。同時に過去のような焦燥感とやる気のようなものがでてきた。それは刃牙という漫画を読んだからかもしれない。正確には漫画ではなくレビューだが、筋が追われていてよく理解できる。格闘モノは必ずしも理が通っているわけではないが、生きるということのはらはら感、闘う競うという喜び、自分と相手だけの世界、自分が認知されているという喜び、今の私にとっては新鮮だった。そもそも闘うということは矛盾が多い。何故中途半端な死に至らない戦いをするのか。いろんなものを破壊して創らず何が素晴らしいのか。力という圧倒的な優越感。それは自己満足ではないのか。発言と行動が一致しない言葉の綾、嘘。下らない子供の遊びのようにも見える。
しかし、生きるということはそもそもそんなものなのだ。体を動かす喜び、殴りかかれば必ず相手してもらえるという自己認知感、筋肉を動かす刺激、考えてみれば下らない人生もそういったもので「暇潰し」になる。闘う必要がなくなった彼らは一体どんな生活をするだろうか。人間とは所詮リビドーで生きているものというのを実感する。スイス心理学者のユングは人間の活動の精神面の根本エネルギーはリビドーであると説いた。肉体を動かすことと性的欲求は繋がっており、人間は性的欲求を求めて生きているに過ぎないと実感する。その証拠に、大人になると男女関係ばかり意識してそれ以外にないのかと思う。軽い性嫌悪的な私は詰まらない。libidoがなくなったら人間生きていく意味を失くす。

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