Archive for 2008/06


矛盾、ジレンマ

 
 
夢は毎日のように見る。夢だけが自分を大きく変える体験情報になっている。矛盾が多すぎる。私は自分の行動を決められない。今回は感じていた矛盾とジレンマを問題点とともに書いてみる。
・私は自分を特別なものだと思っている。少なくともメディア発信性はあると思っている。また扱われてきた経緯もありそのへんのひとよりは力/考える力があると思っている。それは拒食症などの影響か。
だから実力がないのに傲慢に為り、プライドが高く、実際にしないのにあれこれと文句ばかり言う。発言する権利を知ってしまった。無駄に自己主張をする。
しかし、考えるということはそもそも傲慢であり、自分のなかで基準がなければ私はこれから進むことはできないし、考えるということはそういうことは必然なのではないか。
考える→傲慢、プライド→しかしそうしなければ進めない、あるいは上の世界では普通→しかし頭でっかちになり行動できない/腰が重い
育ってきたところが下の世界だからこういう矛盾をどうしたらいいのかわからない。
下の世界では考えるということは禁止事項/タブーなのだ。自己主張せず上の者に従うというのが暗黙のルール。それを破ろうとしている私は周りの目は余り良くない。
曖昧にして従うのは簡単だ。しかし自分で考え選択するというのは難しい。選択すれば必然的に自己主張になるし、プライドみたいなものが出てくるだろう。元来優柔不断な私だから自分を変えようと意識的にrigidに考えようとしている。
また頭のよさとは認知の種類の多さだから私は現象を観察することがよくある。するとその場の状況に入り込めずに脱落する。すると頑固で協調性がない/ノリが悪いひとだと言われる。しかし私は研究者/考える人間として認知を増やしていかなければ発展は出来ない。
また暗記勉強は認知を捻じ曲げるだけで人間性の崩壊も感じてきた。しかし暗記をしなければ試験を通ることはできない。暗記して解釈を固定してしまうと人間として当然の疑問か蔽殺されてしまい、思い込みが増長するリスクもある。良く知らないのに受験的事実だけを知って自分は知っているものだと思い込み、適切な論理も理解しないまま説明能力もなく虚実の力で自己愛になり排他的になってしまう。
こういったものは自分のこのままの方向を貫いて上手く改善できるものなのか。私の思考が足りないだけで上のひとたちは上手く矛盾を解消しているのではないか。
私の前には道がない。私が創るしかない。誰も導いてくれない。田舎はそんな状況だ。自我的になるのは仕方ないようなところもある。何を信じたらいいのか、本当に力のあるひとは私を助けてくれるか。そもそもオリジナルなことをやろうとしているのだから他人とずれても仕方ないようなところもある。でもいろいろな矛盾が生じる。

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誤魔化さない

 
いざ実際に始動するとなると不安が迫ってくる。本当に私は認められるだろうか。今まで浪人してからはやや人間からは距離をおいて接してきたし、それに此処に来て自分への評価を気にする理由がひとつある。私は今まで誤魔化して生きてきた。だが今ではもう誤魔化さない。ありのままの自分を出し、ありのままの自分で生きられるように自分を根本から変える。
誤魔化すばかりの毎日だった。しかし誤魔化すのは終わりにしようと決めた。他人を偽り、自分を偽り、いったいどれが本当の自分なのだろうか。自我に悩み、自分の姿に悩み、生きることがわからなかった。浪人してひきこもった生活は、そんな自分を変えるためのトレーニングでもあった。自分を変えるために矯正していた。それで他人からみて変化があったかはわからない。しかし自分は変わったと思う。
いずれにせよ、私は変人である。それはどうしようもない事実/運命である。それを見つめた上で、ではどうしたらいいのかを考えれなければならない。この点で私はまだ開発途上だった。この点で相手の方には迷惑をかけるかもしれない。
他人のなかに身を置くということは自分を変えなければならない。しかしそこでは葛藤がある。自分を曲げるほど相手は正しいのだろうか。ここは認めてもいいのだろうか。自分の今後の為にもどの点を妥協できるかは慎重に探らなければならない。またどんどん情報を汲み取って行きたい。
文字より映像のほうが情報が多いに決まっているのだから、実際に会ったほうが私の情報を反映するかもしれない。インターネット上の情報など多面体の都合の良い面だけを映し出したに過ぎない。きっと現実世界では私の嫌な面がより目立つだろう。価値観がまるで違う。私は外の世界を知らない幼稚園前児のようだ。
 

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解決

先日から話しているルームシェアの話が進みだしている。7月くらいからは上京し開始する予定だ。
相手の方が私に合わせてくれるので、私のいろんな疑問を解決することができた。些細な事柄もいろいろな遣り取りとしての情報の中で私の疑問を解決していった。世の中まだ捨てたもんじゃないなと思った。相手の方にはこの時点でいろんな意味で感謝である。
思いも依らぬひとたちと接点が持てて人生の立て直しができるかもしれないというところだ。ちょうど面倒なところで人生の窪みに嵌ってしまった僕は誰かがそこに覗き込んで手を出してくれなければ私を助けることができない。しかも私は誰でもいいというわけではなく、助ける人を吟味し選ぶという面倒なことを抱えている。人間をどれだけ信用していいのかはなかなか難しいことだ。そしてどれだけ私が認められるかというのもリスクを負わなければ知ることが出来ない。
認められるはずがないと思ってきたことを簡単に認めてくれた相手の方には感謝をする。この世界から見た世界の矛盾をいとも容易く解決してくれた相手の方には感謝をする。またその切っ掛けを与えてくれた方には感謝をする。
少し自分の行くべき方向が見えてきた気がする。暗い大海のなかで一筋の道を示してくれたのは些細な遣り取りであった。これを機に自分の進むべき道を力いっぱい進みたいと思う。

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勉強する理由

昔から母親の行動は不可解だった。買い物などへ行っても平気で人を待たせるし、事実と認めず平気でごまかそうとし、不可解な理屈で丸め込もうとする姿は周囲にとっても腹立たしいものだった。自分に都合の悪いことは認めようとせず、ごまかそうとするのが彼女の悪癖である。そのため時としてかなりの自己中心的にも見える。
こういった動作は心理的な抑圧的変化によるものだろうが、そういうことなしでもどうしたら人間として上手くやっていけるのかは私にとっても謎であった。こういった自分に都合の良い物事の見方は主にモチベーションの維持に役立っている。これがなくなったら、そのひとは今後どうなるのかは疑わしい次第である。
私が勉強する理由はこれに関係していた。母親は子供が楽しんだり成績が落ちたりすると疳積玉のように爆発して怒った。子どもはそれが嫌で勉強したり自然と娯楽的なものから遠ざかる禁欲的な生活をしていた。それはそれで試験対策にはなった。しかし、それは理屈で動いているわけではないから、理解度がとても浅い。簡単な集中記憶はできるが、その本質を理解した筋道のある思考は逆に遠回りのものとして排除された。私はそんな母親のもとで自分を変えて生活してきたから、物事の考え方や理解の仕方がわからなかった。理屈なんて無く問われたことをそのまま答えるのが良いものとされた。勿論そんな理解の仕方で上の学校について行けるわけがない。私のそういった理解の仕方は高校中盤から追いつかなくなった。忍耐して覚えることはできるが、こと細かくそれがどのようになっているのかはよくわからなかった。
何故こんなことを書くのかというと、今日久しぶりに母親が例のように怒った。兄弟が不真面目なので、それに対して爆発したようである。以前よりは大分筋道が通っては来ているが、私はこのような疳積が嫌でストイックに勉強してきた。他の兄弟もそうだ。しかし、私はいま医学部を志望しており、安易な短絡的な思考では追いつかなくなった。以前から疑問を持っていたことをひとつひとつ考え直し、母親の悪いところを本人に丁寧に主張した。私が何故上手く行かないのかを考え、建設的に行動できるように解決案を考えた。しかし、一度すべてを筋道に沿って考えようとすると、以前の勉強に対する価値観が変わってしまった。何故勉強するのだろう、勉強とは、。そもそも何故生きるのだろう。何故親の奴隷にならなければならないのか。本当に正しいものは何か。 以前は何よりもまず勉強と考えていたものが、ここにきていろんな疑問を抱いてしまった。
私は勉強が好きだから勉強していたわけではない。単にこのような疳積が嫌で家の空気を乱してしまうからそう起こらないように努めただけだった。端からみれば何故このひとはこんなに熱心に勉強するのだろうと見えただろう。別に勉強好きの努力好きでもなんでもなく、母親のそういった疳積がいやで嫌悪条件づけとして自分のなかでプライオリティが高かっただけなのだろう。最近は(浪人してから)母親もそういった疳積を起こさなくなった。私がいろいろなことを必死で論展開したのが伝わったのだろう。そのような考え方では合格出来ないと。母親自身も自分には力がないと自覚していて、でもそれではだめだということで奮い立たせていたのだろう。そういった私の起爆剤をなくして、私はどうして勉強したらいいのか悩むようになった。考えれ見れば疳積を起こさなくなった今、勉強する理由がない。「キチガイ」のような爆発をなくして私はやることを失くしてしまった。そもそも嫌なものを避けていただけなのである。

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協力

最近投稿がめっきり減ってしまったのは、ルームシェアの方との遣り取りや他に熱中するものができて価値観が変わり始めたのと、ルームシェアの話題がなかなか進まないからでもある。何が一つのことが目の前にあると蔑ろにできない。ルームシェアのことばかり頭にあってなかなかそれ以外のことを考えることができない。
ちょっと別の機会で他人に触れて思ったのは、私たちの状況の問題は誰かと一緒になにかをするということができないということなのかもしれないと思った。普通の一般の人は誰かと一緒に何かをする機会があるというか、やろうと思えばできるが、私のような浪人生では各々が受験生であり、自分の力だけが頼りの 他人と協力するということが目に行きにくいところでもある。浪人して数年間、いやそれ以前から他人と協力するということが概念として減ってきたように思う。人間は普段はなにかを協力してやり遂げることによって人間関係が成り立つように思うが、今の私にとってはそれがない。だから人間関係をいちいち気にしてどうしたらいいのかと悩んでいた。敢えて他人と協力しないという意識がどこかにあって、それがかえって人間についてより考えさせる原因になっているように思う。
要するに、他人と何か協力してやり遂げる機会があれば細かいことに拘らなくなるということだ。私は意識してそれを避けていた。だから何時までたっても建設的な方向に思考が進まず 些細なこと に悩んでいた。プライドが高い人は他人と協力するということを避けたがるから、下手にそういう意識があるひとは人生で失敗する。例の事件の加害者もそんなところがあったのかもしれない。なにか協力することがなければ他人とは上手くやっていくことができない。敢えてそういう状況を作ろうとするひとが少なからずいる。完璧主義や自立 の裏には危ない意識も潜んでいるということだ。下手にそういう意識があるひとほどやり直しが効かなくなる。無駄に学歴が高いほうが協力するということに抵抗があるため広い環境に順応できないこともある。

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自己表現、表出の差異

 
最近悪い夢を見る。起きたときには物凄くどんよりとした気分になる。
最近とある方からルームシェアして一緒に勉強しないかという話をいただいた。それ自体は刺激的だし、効果的で面白そうだ。ただ不安もある。見知らぬ人と一緒にいて大丈夫だろうか?私は受け入れられるだろうか、本当にやっていけるのだろうか。私はこれまでずっとひとりで生きてきたから誰かと一緒にいるというのが上手くない。適当に合わせるより一匹狼のほうがいいと思っていた。また自分に興味をもたれるとそれがなくなったときの反動が苦しくあまり期待を抱かせないようにしたい。その方は私に興味を持っていただいているようだが、リアルの私を見たときにどう思うか。幻滅して張りぼてだと思うか、直ぐにつまらないやつと思い切り離すか。そういうのが嫌であまり人間に近づくのが嫌だった。近づき過ぎると突き放されるだけだから、かえってそういう経験を何度もしてきた。なぜ私に興味があるのかがはっきりしない場合少し慎重に出る。
そういった不安も掛け合わさって夢となって現れる。いろいろなことを考えるとどこ行っても適応できないとも思う。やさしい人間に出会ったときそのやさしさの裏にあるものが気になり、容易に心を開けない。もしかすると演じているだけかもしれない、私がそれに気づかないだけなのかもしれない。鈍感(空気読めず)で異常だから。
私は同じように明るく振舞ってもそれがその思うように捉えられたことがない。私は思ったような雰囲気を表現できないのだ。それはいろいろな要因がある。だから無難な表現ばかりして人に近づくことなく過ごしてきた。私の根本は受け入れられることはない。思い描く現実と表現できる事実の差異。本当の私を知れば誰もが遠ざかる。そう思い心を堅く閉ざした。
ただ自分を偽って表現することは苦しみでもあった。本当の自分 がわからない。他の人も演じているのか、私だけなのか。一緒に生活すれば醜い自分が出るだろう。そうなったときにどうなるか。どうするか。簡単な会話もものすごく苦痛になってしまうことがある。私は表現できない。そんなこと考えていると相手に不快を与える。私が意図しなくても。
 
 

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