Archive for 2008/05


親を憎むということ

 
 
 
いちど言っておきたいことがある。以前にもこういう話をしたが、すると毎回よく理解も出来ない馬鹿な人間が結局状況も理解せずに私を無条件に責めて終わり、ということになった。求めてもいないようなコメントで私を罵るのである。正直これは毎回不満が積もる。恐らく問題はそう表面的なものではない。恐らく文面で見ただけの浅い問題ではないし、本当に主張したいことは表面的に表れるものよりずっと奥深くにあるのだ。書いているほうももう大人なのだから一方的に相手を責めることはないだろうし、いってもどうにもならないことを何時までも愚痴ぐちいい続けるわけではないだろう。要するに、共感を求めているのだ。もし同じ状況だったら、誰だって同じように思うだろう。なのに、せっかく内情を暴露すると、返ってくる言葉は「何時までも親のせいにするな」「甘えてんな」「自立しろ」とかピントがずれた意見ばかり。そんなのは分かってんだよ。そういうコメントがつくのも予想がついている。しかし、それでも書く目的はそういうことではない。「そうだよねー」「なるほどね」と我々の経験に少しでも同情し、共感して、気持ちを共有してくれることを望んでいるのだ。何故なら、大抵の場合こういう話をすると条件反射的に「んなこといってんじゃねー!」と無条件に我々を否定する言葉が浴びせられるからだ。起こったことは事実なのに、何故私たちはこんなにも受け入れられないのだろう。理解されないのだろう。それが小さい頃からずっと不満でずっと積み重なってきたのだろう。だから何時までも過去のことを引き摺って大人になっても親がどうこうと主張するのかもしれない。そういう心理の流れを理解しなければ老年になっても同じように主張するかもしれない。要はちゃんと主張を理解してやることである。
それで、私は今でも親が完全だとは思っていない。そもそも「完全」な親など人間としていないだろう。まあそこまで求めているわけではない。何らかの原因で親に不備がありそれが原因で欲求不満が子供のときから積み重なり、結局は子供も精神を冒すほど親を憎むということに繋がりかねない。
こういうものを見ていた。質問者が私と重なるようではっとした。要するに重要な点は以下である。
親を憎む人はいますか?
私は憎んでます。親がもっとしっかりしていればこんな事にはならなかたtからです
ろくな育て方も出来ないくせになぜ自分を生んだのかと日々思ってます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012835055
このひとの主張は強ち間違ってはいない。どうしてまともに育てられないのに生むのだろうか?アフリカの貧困地域の生まれてくる子供は同じように思うのではないだろうか?また先天的に異常をもって生まれてきたら恨む先は親以外誰にすればいいのだろうか?(だってそんなの生き地獄だろ??)
思うにこの論理は確実に正しい。そこは認めてやるべきなのである。しかし多くの「恵まれた」?人間はそこすら認めず「何時までも親を頼ってんじゃねー」とか「ぐだぐだいってねーで自立しろ」というだろう。だから結局不満は積もるばかりで何も解消されない。折角自分を許してこういうことを喋っているのに、全然その真意が伝われないから一層のこと欲求不満は溜まるのである。
思うに要するに、ここでの問題点はこれだけではないのだろう。多分自分が親との関係性を切れるのであれば多分意識的にも親から分離し、こんなことぐだぐだいってなど自分でもいないだろう。要するに、何か決定的な因果が今にも続いていてそれをまだどうにかする手段が見つからないから親への欲求不満が未だに薄れず最後まで残るのだろう。例えば、一生を左右することが親の手に掛けた状態のときに決まってしまった場合である。例えば教育とか、事故とか、病気とか、離婚とか、借金とか、そういうものである。これは忘れようとも忘れられない一生続くほどの傷なのである。だから何時までもそれを生み出したものに対する不満が消えず残るのである。
この点、理解できないひとはできないだろうし、できないならそれはその点での「関連性」が殆どない状態だろうから、この記事に構う必要は無い。結局、きっても切れない因果が後にも残るから、とりあえず親が悪い、というのを認めて欲しいという心理が親を責める、という行為に現れてくるのだろう。だからといって、別に親を責めても何にもならないとは当人も知っているだろうし、そんなことは問題ではないのだ。要するに自分の”感じ方”は人間として間違っておらず、親がそういう状況であればどんな人間でも同じように思うということを、一般的に普遍的に認められないもどかしさや蟠りというものが、一層のことこの問題の気持ちに入れ方に拍車を掛けるのだろう。
この質問者は後にこういう文を付け足している。
私はその親よりも嫌いな人がいます。
それは自分自身です。その親に甘えてきた自分はもっと情けない。
ちなみに家の父親は離婚していません。
もう一家揃って崩壊しちゃえばいいのに。
すいませんただの愚痴で。読んでくれてありがとう。
この本人もこういう系統の”愚痴”が認められないということを知ってこういう文を付け足しているのだろう。このひと自身も親との関連性を切り離したいと自分でも思っていることが分かる。そういった努力も認めず上の質問ページのように、「いつまでもぐだぐだ..」とか「親は素晴らしいですよ」なんていう馬鹿げたコメントをするから更にもどかしく腹立たしくなってくるのだろう。
このベストアンサーに「でももう子供じゃないんだから」とあるが、子供から成長しても変わらないものがその「関連性」の因子ならばこの回答には少しも満足できないだろう。子供であるか子供じゃないかなどその点では関係ないのである。それと「親のせいにすると楽」というのも聞き厭きていて嫌気が差すだろう。あまり効果的なアンサーだとはいえない。
それともう一つ重要な要素として、親をなんとかしたいという建設的な観念もまだある。何も文句をいうからといって現状をそのままにするわけではない。一般的に自分の考え方が認められたならばそこから「光が射す時間」である。結局問題を有耶無耶にしたくないのだ。親の間違いはそれはそれでその通りであり、だからこそ、建設的な思考を可能にするよういろいろ考え始めようという見方も生まれてくる。始めに罪を認めなければそれを越えて進むことはできないのである。もし親が私の罪を認めるのであれば、私は喜んで今後は親を助けるよう働くであろう。しかし親は未だ私に問題点を認識して謝りすらせず、問題をうやむやにし忘れ去ろうとしているのが見える。それでは許せない。しかも、有耶無耶にするという態度が考える勉強においては対極に位置する重大な誤りの概念だからである。問題を有耶無耶にしてはいけない。はっきりと片付けてそれから前に進まなければならない。そういう意図を持って私はこれまでの記事を書いてきた。私の親は概して全てを曖昧にしたがるのである。だから私は断固としてそれを拒否し徹底して問題点を洗い出そうというスマートな考え方を貫こうとしている。勿論色んな意味でこれはエネルギーを要するしいろんな意味で認められないことも多い。だからこそ私は個人で強固として生きていかなければならないと思っている。
それを理解せずに以下のようなことを書く人間もいる。
私のダーリンは母親を憎んでいる。
母親のどこが嫌いか。借金を作って自己破産したこと、母親の兄弟に迷惑をかけていること、だらしない性格等。しかし、この借金はダーリンを含む子供達の養育費が大半だったのだし、離婚して一人で稼いでいけなかった結果だろうし。
なのに、ダーリンは、母親は料理らしい料理を作ったことなんてなかった。だとか、学校の提出物なんてのもいつも遅れてた。などと当時の不満を今でも言う。
ダーリンの母親についての思考はとても子供、幼稚なのだ。
私は他人だからダーリンの気持が分からないのかもしれないが、このお母さんのことが不憫でならない。離婚して一人で子育てなんて、到底向かない人だったんだろうに、と。
しかも今このお母さんは病気で不自由をしている。
だけど、ダーリンの態度も気持も変わらない。
ダーリンは自分の母親を憎む一方、理想の母親像を強く持っている。母親とはこうでなければならない。というもの。
私はそれが怖い。いつか私が母親になったら、、。
たいていのことには柔軟な思考の持ち主であるダーリン。親離れできるのはいつだろうか。今は見守るしかないのかなぁ、、、。
http://blogs.dion.ne.jp/mizmo/archives/6582055.html
結局こいつの主張はダーリンを「親離れできていない幼稚な思考のあほ」とでも言いたいのだろう。問題の本質と主張の真意を理解されないダーリンはまたこれに憤慨するだろう。「認められない」の積み重ねが殺人まで犯す精神病の人間を生み出す要因となる。私も認められなければとんでもない方向に動くことも予想できた。
多分理想のなんとかじゃなくて、単にダーリンは認められないことを強く根に持っているのだと思う。理想的なものを求めるのではなく、単に現実的に親がその問題点を認めようとしないことに何時までも腹を立てて根に持っているのだろう。恐らくこの輩がママになったときは、それほど大きなものを要求するということはないように思う。問題は、何故親を恨んでいるのか、という点である。親の状態の如何など関係ない。問題点は全然解決していないからである。まずその親を憎む理由を理解し、どうしたらいいかを考えるのがこのダーリンの心を解放す唯一の術のようにも思う。表面的な理解で当人を責めても何にもならない。寧ろ発狂してお前を殺しかねないぞ。最後の一言には特に。*
 
ということを一度まとめておくべきだと思った。別に理解できない奴のコメントなどいらない。本質は誰にでも理解できる内容のはずである。要は「親との現在にも到る関連性」である。それは被害者が子供か親かなど関係ない。また親によって精神を病んでしまったひとがいるならばそれは立派な親との嫌でも切れない関連性になる。とりあえず憎むのは仕方ない。どうしたらこういった感情を解放できるのかちゃんと考えなければ、問題の本質の改善には繋がらないどころかかえって反感を抱かれ発狂し殺されかねないよということを伝えておく。
 
*というか大抵こういうひとのほうが自立心は強いような気もする。私も人に依存するのが嫌いである。「せい」にするのではなく事実だから指摘するのである。それが認められない歯がゆさと苛立たしさはこの上ない。問題解決のステップのために早くこの点において共感が広まればいいなと願う。
 それとひとつ、「お前の親は私の親じゃないし、私の親はお前の親ではない」こんな簡単なことも分からないような輩がいるので一応補足しておく。要は、経験したこともない状況をどうして想像できるのか?ということだ。私はお前の親を知らないし、お前は私の親を見たことすらないだろう。何故一方的に価値判断ができるのか?親といっても人間の数だけいるんだぜ??
結論:
 

だから早く認めろっていってんの。
 
 

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6月

 
 
逆にいろいろ考えているからこそ批判に関しては敏感になりますよね。何某にのいう「浅薄」という言葉はまだ私を離れない。じゃあお前はどれだけ意見を提示した?どれだけ説明しようと真摯に向き合った?概して不誠実なのにそんなことを言われては許しがたい。
一連の事件では私は間違っていないと断固主張しますし、相手を許す気はありません。私は最低限の問題解決態度を求めます。相手の態度は著しく低いです。人間として 許し難い姿勢です。
さて、そろそろ6月なので次の行動を決めるときでもあります。予備校を探すか、旅に出るか、上京し刺激を求めるか、いろいろ考えられます。ただ常に行動的ではありたいです。
岩波 数学入門辞典
工学系の物理学実験
英語長文問題精講
研究の幅を増やしたい。
思うに、人間が関心を抱くのは激しく否定的に思うか激しく共感するかのどちらかだと思う。だからブログコメントやwikipedia、amazonのreviewなんかでも極端な性質が現れやすい。ま当然かもしれないですね。
 
追記:
考えてみれば、始めから書き込む相手が私の主張を理解して味方だと思っていたのが間違いだった。私の主張は愚か、一言の趣旨さえ理解せずにばんばん書き殴っていただけだった。要するに、単なる自己満足。なにか欲求不満があり私を見下しの対象としてひとり悦に浸っていたのだろう。私は書き込むひとはある程度私の主張を理解してそして、それを上回るからこそ書き込む意志があるのかと思っていたがそれも違っていた。単なる短絡的な思考の産物を私に評価させるために、私を利用したに過ぎないことに気づいた。そういう意味でも私は彼らを許し難い。憎らしい。要するに、嫌な客ということか。クレーマー。彼らが味方だという先入観が更に誤解を招き私の憎悪を増大させた。単に私を否定するために書き込んだに過ぎない。そういう意味でこころを開いたのが間違いだった。私は警戒していなかった。馬鹿を見るのは常に正直者。優しい人。与える人。それを強く感じた。捻くれ者、狡猾者、異常者が正直者を惑わす。これに異論はないだろう。
結論:
客人が必ずしも味方とは限らない。捻くれ者、狡猾者、異常者が正直者を惑わす。

正直者が得をすると思っていた。しかしそれは嘘だった。

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1分でわかる今回の騒動の問題点

 
 以下はこの騒動の問題点をわかりやすく書いた部分の抄録である。
追記:
いい機会だから書いておくと、私が彼の言動に特に気に障ったのは東京大学から帰ってきて書いたエントリのコメントである。長い旅路で歩き回ったなかで得た私の経験を、彼はなんでもないかのように「百聞一見に如かずというわけだ、それを知っただけでもよかったね」と書き込んだ。はっきりいってこれには憤慨した。お前に何がわかる?私にそんな物言いをするほどお前は物事を知っているのか?大体何故そんなくだらないコメントを書くのか?百聞一見に如かずなんていう情報性として当たり前のことを態々私が知らないと思って書いたのか?単なる覚えたことのカタルシスか?何でお前は私に「よかったね」なんていう口調なんだ?そもそもそこがおかしい。大体、以前からその点では疑問ではあった。こいつの実体を明らかにせねばと思った。大したこと書かない割りに批判だけは一人前で私を上から見下して鼻で指図するかのように振舞う。正直これには応えた。(大体なぜそんなことを書き込むために粘着的に居座るのか?書く理由は?目的は?第一それが不明である。あなたは誰なんだ?私はそんなもの望んでいないぞ?)
何故私がこんなあほに下見されなければならないのか。何故私が歩き回って自分の力でサバイバルしてきたなかをこんな人間に「よかったね」なんて言われなければならないのか。大体そんなコメント望んでいるとでも思っているのか?私はそんな心もちで対応したと思っているのか?だったら本当にこのひとは異常だと思う。直したければ専門家に精査して貰ったほうが身の為だと思う。
はっきりいってね、こんなレベルの話なんてしたくないわけよ。はっきりいってかなり低レベル。この人間は私を鼻で見下しているようだが、私からみれば何でこんな中学生以下のことを熱心に丁寧にそれも上から見下すような奴に説明しなければならないのかが不快だった。明らかに論理構造おかしいよね。間違ってるのはどっちだ?それで私は何故こいつがコメントをするのか訊いた。しかし答えなかった。適当にはぐらかして身元を公開しようとしない。はっきりいって話してられないレベルだった。何で私はこんなことに時間を費やさなければならないのか。本人たちが思っている異常に会話のレベルは低かったし、私の意識は懇切丁寧で慎重だった。
結局相手の襤褸がでて終わったわけだが、まだ相手はその自覚がないようだ。何故私がここまで怒っているのか、ここまで相手に対応するのか、それすら理解できていないようだった。それもそのはず。どうやら相手は精神的に何かおかしいようだった。まともに対話を望んだのが間違いだったのだ。何故だかは知らないが、彼らは私のブログを読んで始めから見下す意図をもって書込に臨んでいたらしい。私がそんな人間を歓迎するとでも思っていたのか?態々この手の説明を書かなければならないのがあまりに低レベルで躊躇われた。こんなに理解できない人間が存在することにも驚いた。そしてそれが私の周辺に集まってくるのにも驚いた。
こうして見るとなんだか私が悪役みたいに周りから悟られるので不愉快だ。私は間違っていますか?上の流れで私はおかしいところがありますか?私は正しいと思ったことをやったまでなのにどうして軸は常に私寄りで傾かないのですか?自分では全然おかしいことをやっていないつもりなのに、認められない歯がゆさと、問題を理解されない腹立たしさ、それと先入観で私を悪者のように捉えるあほな人間たちにはいっそのこと不愉快だった。私はあれだけ相手を傷つけず、情報について慎重に、予断の過ぎることはいわないように真摯に対応してきたつもりだったのに、その裏返しがこのような事態になっている。今回は偶々相手が悪かったというのもあり、それも考慮しなければならないが、やはり私は「相互理解」という崇高で根本的で平和的なものを望んでいたからこそ、こういった成り行きで不愉快感を拭いきれないのだろう。
追記2:
ただね、こんなレベルで説明しないと相手が理解しないとは思わなかったし、周りも理解しないとは思えなかった。だから私は遠まわしに一般化して研究者志望として分析的に「大人に」書いたつもりだった。これが逆に印象を悪くしたようなところもあるみたいだが。世間の人間はそれを理解するほど頭がよくないのだと知った。(ここでの「頭のよさ」とは理解力だから必然的にこういう表現になる。)
というかここまで噛み砕かなければ周りに理解されないというのも驚きだった。こういうのは単に周りの理解力が足らないだけだから、私が一々状況を説明してやらなければ成らないというのが、この問題の構図で私が下の位置にいると看做されているのも相まってあほらしくてやってられなかった。大体、彼らはこうやって説明しても未だに私の状況を理解できないのかもしれないが。というか理解するつもりがない。ここまで噛み砕くのであればそれはもう議論でも平等な遣り取りでもなく単なる「講義」である。かえって説明していることを感謝して欲しいくらいである。そのくらいこの説明のレベルはくだらない。私ははじめそれほど相手が馬鹿だとは思わなかったし、こんなものを理解しないとは思えなかった。彼らは少なくとも私を見下していたのだから。
何故私が「見下し」に敏感なのかというと、そうされる理由が分からないし、大体相手の実力が伴っていない。寧ろ私は私のほうがあると思っている。それと、誰だかわからない人間にそのような態度を取られるのは実に不愉快でもある。インターネットは匿名性があるから簡単に仮想人格を作り出すことができる。だから、某巨大掲示板のような口調が一般化して広まるし、発言は無責任でも構わないという風潮が出来る。結局ね、この人たちの発言は無責任なわけです。問いただしても答えないし、結局発言の意図がわからず責任性がない。(責任以前に主張の意味が定まらないから頭を悩ます存在になる)だから、そういう意味でもあまり歓迎しなかった。そんなものに注意を払っている暇があるなら別なことをしたほうがいい。結局その内実を測ろうとしたのが今回の流れでもあるだろう。要するに早急に真偽を確かめたかっただけなのだ。それが思わぬ方向に曲がって困っている。
追記3:
まあ問題のある人間たちは追い払ったのだからさっさと忘れて次の話題に移ればいいのだが、心理を研究するものとして、現象を分析するものとして、医療者として、また人間として単純に人間を切り離すのには抵抗があった。 丁寧にコメントをしていたのは他でもない、なんらかの思慮が働いたからひとつひとつ思いやろうという意思もあった。しかし返ってくる内容は非難的なものだった。それでも、もっと分析すれば何かが見えてくるに違いないと思い、熱心に考えてきたがそこまでする必要はなかったのかもしれない。かえってひとつのことに固執してひっつく馬鹿な強迫メンヘラに移ったかもしれない。しかしそういう意図でやっていたわけではない。実に行動の要因は複雑である。
まあ、個人的にはそう視野を狭めたくないから、ちゃんと問題は解決すべきと思っていた。いろいろ紆余曲折はあろうがちゃんと最後には納得行くところまで行くことができると信じていた。しかし、それもあまりしないほうがいいのかもしれない。結局別に理解し、されなくなても別にいいじゃんという段階になったのかもしれない。個人的に病んでいるひとは放っておかないほうがいいと思っているが、それでも関わり続けるといろいろと誤解が生まれる。それでかえって私が加害者/被害者になってしまうこともある。問題への関わり方を考えさせられた事件であった。ここから学んだことは多い。次回に活かしたいと思う。
問題を曖昧にするのは抵抗があるが、社会的に突き詰めるのは好まれない。特に対人関係においては。これは見放しではない。逆に社会にとってそれが有用なのだ。
追記4:
いちいちこんなことを書かなければならないのが残念だが、私を先入観的に見下す要素として以下のような点があげられる。

3浪
NEET
メンヘラ
blogger?

言うまでもなく、この他にも要素はあるだろう。しかし、このような先入観で人物を測るようでは能力の先が知れている。大体何故あなたは自分は有能だと思うのですか?それには基準がありますよね、それは何ですか?また現在私が考えている「頭の良さ」の基準はなんですか?書いてありますので確認してください。と小学生のように書かなくては伝わらないのがあほらしい。そんなひとは自分は大した能力がないのだなと自覚するのがよい。思っている以上に私たちのいる世界は深く、人間は如何なる状況においてもいろんなことを考えているのだ。先入観で人間を推し量るとはリスクのほうが大きい気もするが。こんなくだらないことを書きたくなかった。またそんなレベルでの相手を望んでいなかった。こんなものは当然のこととして無色になっていなければならない。別にいろいろと先入観で誤解するのは勝手だがそれを持ち合わせていちいち関わってこないでくれ。またいちから説明するのが面倒だから。そんなもんは後に経験的に知るのがいい。結果的にそういう方向に人間は学習されるのだから、今の時点で私が声を上げて説明する因果も義理もない。そのときは私はそれ相応の処置を下したいと思うが、その際に因縁的に執着して関わってこないで欲しい。結局損をするのは一方なのだ。これが社会に於ける謙虚の必要性のありかただと考える。

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区切り

 
 
 
つまりこういうことだ。
私はあまりに純粋に分析しようとして、偶々質の悪いサンプルが目の前に現れた。それで私自身も毒された。
こういういことだろう。
私の主張自体は間違いではない。だから本人たちも後に引けない状況になったのだろう。
必ずしも的を外れていたわけではなかったら、本人たちにもピンと来たのだろう。
まあその辺の心理は複雑なところがあるだろうから、今回はこれで終わりにする。
私は理論を当て嵌めようとしていた。かなり厳密に。それは悪くない。しかし、相手と状況が悪かった。いろいろな条件の組み合わせであまり上手くいかなかった。それだけのことだ。コメントはすべて削除した。くだらない過去は消し去るのがよい。
私は間違っていない。間違っているとすればこんな問題をいちいち長引かせたことだろう。相手もそんなに重視する価値はなかったように今は思う。サンプル数が少なすぎた。
多分、端から見ている人には、何故私がこんなに息を荒げて怒っているのか理解できないことだろう。それもある意味当然かもしれない。私が怒っている理由は、結局いろんな意味で通じ合えなかったからだ。それもそのはず、彼らは始めから通じ合うつもりなどなかったのだ。私が心理的にアプローチをかければなんとか引き出せるかなとも思ったがなかなか難しかった。それと、私がそういった上下関係によしとしない理由はあまり表立っていないからだろう。なぜ行き成りこういった「反乱」を起こしたのかは前の記事を見ればいい。私が虚実の上下関係がとても馬鹿らしく思えた理由。実際に彼らは大して実力がなかった。それが分かっただけでもよかったかもしれない。実力がないのに上に立って威張って矜持を募らせる人間は良いと思わない。寧ろ嫌悪感を抱く。大体、私の文章を理解もしないのに、適当なことを権威的に書くというのも鼻に触ったのかもしれない。権威的に書く割に彼らの発言には内容が無かった。それが行動的な今、とてもあほらしく耐える価値がないと思ったのだろう。あんなものは実力ではない。少なくとも私の目標ではない。興味がない。
彼らを丁寧に扱った理由は他でもない、単に研究材料である。こういうと誤解があるかもしれないが、これは他の人間的な理由に対しての理由である。基本的に生活とは研究材料である。なにをどう解釈するかそれ自体が情報であり、研究材料である。だから別に特別なことを考えなくてもそれ自体が研究である。この点で誤解をしないで欲しい。
そもそも人間というのは誤解を大いに嫌う存在である。子供だって間違ったことは言い返すし、それで命まで掛ける。誤解や矜持というのは人間にとって生きる意味と直結する大きなものなのだろう。私が相手の誤解によしとしなかったのもこのためだし、相手が私に言い返してきたのもこのためだろう。結局互いに「真実」を知ることができなかったのだ。それは残念である。
まあ、これからは真の実力を手にするため、甘さなく勉強していきたいと思う。ブログやっているから勉強できないなどとは寧ろ逆でよい刺激に為りうることも多い。要は考えようである。文章を書くということは創作活動であり頭を使うからお勧めでもある。
ま面倒な要因が消えたところで、またじっくり考えていきたいと思う。思うに今回の失敗は相手(サンプル)に依存しすぎたところだろう。もっとサッパリに効率よく情報を得るのがよかった。人間はいろいろいるんだから、話さない人間は話さないし、精神を病んでいるものもある。それをこじ開けようとするのはあまりに強行過ぎる。そんなに現実簡単ではない。ある程度のところで見切りをつけて次のテーマに取り組むのもいいだろう。もっと情報の質を考えなければならない。
 
*なぜ私が強迫的に考えてきたかというと、私の中でこれは確実だ!というものがあり、それが安易に法則として打ち破られたから。科学的手法で厳密に考えたかったのでどうしても慎重にならざるを得なかった。その態度が彼らに誤解を与えたのかもしれない。実情は上の通りですので誤解のないようにしていただきたい。
私にとっての当然!と彼らにとっての先入観がずれており、そこから大きな擦違いに発展した。私の思う当然!が彼らのそれと大きく食い違ったことから彼らの中では私がおかしいと一方的に判断され、よくもわからず批判されるに到った。こういった誤解の要因は複雑だが、今後も慎重に分析していかなければならない。
 
追記:
いい機会だから書いておくと、私が彼の言動に特に気に障ったのは東京大学から帰ってきて書いたエントリのコメントである。長い旅路で歩き回ったなかで得た私の経験を、彼はなんでもないかのように「百聞一見に如かずというわけだ、それを知っただけでもよかったね」と書き込んだ。はっきりいってこれには憤慨した。お前に何がわかる?私にそんな物言いをするほどお前は物事を知っているのか?大体何故そんなくだらないコメントを書くのか?百聞一見に如かずなんていう情報性として当たり前のことを態々私が知らないと思って書いたのか?単なる覚えたことのカタルシスか?何でお前は私に「よかったね」なんていう口調なんだ?そもそもそこがおかしい。大体、以前からその点では疑問ではあった。こいつの実体を明らかにせねばと思った。大したこと書かない割りに批判だけは一人前で私を上から見下して鼻で指図するかのように振舞う。正直これには応えた。(大体なぜそんなことを書き込むために粘着的に居座るのか?書く理由は?目的は?第一それが不明である。あなたは誰なんだ?私はそんなもの望んでいないぞ?)
何故私がこんなあほに下見されなければならないのか。何故私が歩き回って自分の力でサバイバルしてきたなかをこんな人間に「よかったね」なんて言われなければならないのか。大体そんなコメント望んでいるとでも思っているのか?私はそんな心もちで対応したと思っているのか?だったら本当にこのひとは異常だと思う。直したければ専門家に精査して貰ったほうが身の為だと思う。
はっきりいってね、こんなレベルの話なんてしたくないわけよ。はっきりいってかなり低レベル。この人間は私を鼻で見下しているようだが、私からみれば何でこんな中学生以下のことを熱心に丁寧にそれも上から見下すような奴に説明しなければならないのかが不快だった。明らかに論理構造おかしいよね。間違ってるのはどっちだ?それで私は何故こいつがコメントをするのか訊いた。しかし答えなかった。適当にはぐらかして身元を公開しようとしない。はっきりいって話してられないレベルだった。何で私はこんなことに時間を費やさなければならないのか。本人たちが思っている異常に会話のレベルは低かったし、私の意識は懇切丁寧で慎重だった。
結局相手の襤褸がでて終わったわけだが、まだ相手はその自覚がないようだ。何故私がここまで怒っているのか、ここまで相手に対応するのか、それすら理解できていないようだった。それもそのはず。どうやら相手は精神的に何かおかしいようだった。まともに対話を望んだのが間違いだったのだ。何故だかは知らないが、彼らは私のブログを読んで始めから見下す意図をもって書込に臨んでいたらしい。私がそんな人間を歓迎するとでも思っていたのか?態々この手の説明を書かなければならないのがあまりに低レベルで躊躇われた。こんなに理解できない人間が存在することにも驚いた。そしてそれが私の周辺に集まってくるのにも驚いた。
こうして見るとなんだか私が悪役みたいに周りから悟られるので不愉快だ。私は間違っていますか?上の流れで私はおかしいところがありますか?私は正しいと思ったことをやったまでなのにどうして軸は常に私寄りで傾かないのですか?自分では全然おかしいことをやっていないつもりなのに、認められない歯がゆさと、問題を理解されない腹立たしさ、それと先入観で私を悪者のように捉えるあほな人間たちにはいっそのこと不愉快だった。私はあれだけ相手を傷つけず、情報について慎重に、予断の過ぎることはいわないように真摯に対応してきたつもりだったのに、その裏返しがこのような事態になっている。今回は偶々相手が悪かったというのもあり、それも考慮しなければならないが、やはり私は「相互理解」という崇高で根本的で平和的なものを望んでいたからこそ、こういった成り行きで不愉快感を拭いきれないのだろう。
追記2:
ただね、こんなレベルで説明しないと相手が理解しないとは思わなかったし、周りも理解しないとは思えなかった。だから私は遠まわしに一般化して研究者志望として分析的に「大人に」書いたつもりだった。これが逆に印象を悪くしたようなところもあるみたいだが。世間の人間はそれを理解するほど頭がよくないのだと知った。(ここでの「頭のよさ」とは理解力だから必然的にこういう表現になる。)
というかここまで噛み砕かなければ周りに理解されないというのも驚きだった。こういうのは単に周りの理解力が足らないだけだから、私が一々状況を説明してやらなければ成らないというのが、この問題の構図で私が下の位置にいると看做されているのも相まってあほらしくてやってられなかった。大体、彼らはこうやって説明しても未だに私の状況を理解できないのかもしれないが。というか理解するつもりがない。ここまで噛み砕くのであればそれはもう議論でも平等な遣り取りでもなく単なる「講義」である。かえって説明していることを感謝して欲しいくらいである。そのくらいこの説明のレベルはくだらない。私ははじめそれほど相手が馬鹿だとは思わなかったし、こんなものを理解しないとは思えなかった。彼らは少なくとも私を見下していたのだから。
 何故私が「見下し」に敏感なのかというと、そうされる理由が分からないし、大体相手の実力が伴っていない。寧ろ私は私のほうがあると思っている。それと、誰だかわからない人間にそのような態度を取られるのは実に不愉快でもある。インターネットは匿名性があるから簡単に仮想人格を作り出すことができる。だから、某巨大掲示板のような口調が一般化して広まるし、発言は無責任でも構わないという風潮が出来る。結局ね、この人たちの発言は無責任なわけです。問いただしても答えないし、結局発言の意図がわからず責任性がない。(責任以前に主張の意味が定まらないから頭を悩ます存在になる)だから、そういう意味でもあまり歓迎しなかった。そんなものに注意を払っている暇があるなら別なことをしたほうがいい。結局その内実を測ろうとしたのが今回の流れでもあるだろう。要するに早急に真偽を確かめたかっただけなのだ。それが思わぬ方向に曲がって困っている。

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正しさ

 
 
以下少し感情的に、わかりやすく書く。
 
何故私が責められるのは全く不可解だ!この世はおかしいのではないかと思う。
そもそも何故私が怒っているのかというと、
sharaku = ゴジラ という変な人間が私のブログにうろつき始めて、それを私が指摘したら、なんだか良く分からない答を返して、それで慎重に相手を傷つけないように探っているうちに、相手が私の粗探しして”いちゃもん”をつけはじめ、先ほどチャットをしたらまだなにか不可解なことをいっている。別に私と比べてではなく、一般的にこのひとは頭のネジがぶっとんでいると思う。以下に例を示す。
Q.何故私のブログに来て書き込むのですか?
A. さあ。間違いを許せないからです。知りません。あなたが医者になってもらいたいからです。いややっぱりそうではありません。そんなことより勉強しなさい。
???
あほですか?普通に頭大丈夫ですか??
やっぱこのひとおかしいぞ。何をいっているのかわからない。
私は別に、ブログに来て、それも大して理解もしていないのに書き込む理由を聞いているのに、上のようなよくわからない答を返す。単に人格障害?
いや、別に私は皮肉るつもりなどなく、本当にそうなのではないかという疑いがある。勿論、言うまでもなく私は素人だし大して知識経験があるわけでもない。だが、このひとの挙動はあきらかに「おかしい」。
コメントでなんどか遣り取りしているが、その毎回なんともピンとこない返答内容だった。
あなたのような不可解な人間がいるとまともに集中していられない。何をしでかすかわからないから。
そもそも中の人はいるの?人間(人工知能)?浪人生?メンヘラ?社会不適合者?
私が丁寧に考え慎重に対応してきたのに、相手の振る舞いは酷い。何が見下しだ?何が偽善だ?権威的だ?私はそれをなくそうと少なくともあなたの何倍も考えているつもりですよ?あなたは自分の書く文字を見たことがないのか?携帯小説の感想程度の文字数で何を伝えられると思っているのか?最初から思っていたが、なんか感情がないというか、人格がおかしいというか、陰気だというか、粘着質だというか、客観的に中立的に見てもそんな感想しか抱けない。なんなの?馬鹿なの?あほなの?異常なの?
以上のように私が怒るのは、相手の対応の不誠実さからである。揚げ足取りの粗探し。だったら別にサイトに来なくても結構。別にあなたの為に書いているわけでもなく、あなたに意見を求めているわけでもなく、ただあなたが寄ってたかってきただけなのだから、なに私に個人的原因があるような言い回しをするのか。別にあなたのような人間を歓迎してはいないし、寧ろ避けるべきのように思う。しかし、研究対象や医療者を目指すものとしてある程度別な見方も持たなければならないと思うから、私は慎重になってきた。
もしsharakuがこれ以上自分を開こうとしないのなら、私は断固として彼を拒絶する。はっきりいいって彼は人格障害だと思う。もしかすると境界例かもしれない。勿論これは私の憶測を越えない。ただ、あのひとが人格に何らかの異常があるのは誰の目から見ても確かなように思う。少なくとも私は、信じるものは信ずるべきとして、その姿勢を貫いていきたいと思う。それが研究でもある。(かといって素晴らしい意見を取り入れないというわけではない。これはもっと表面上の姿勢である)
 
基本的にね、研究者としての姿勢ってあると思う。信じるものは貫く。基本的に研究内容が周りに賛同してもらえることばかりとは限らないから、ある程度のそういったユニーク性というのは必要。この問題で私は私の信じるものを貫こうとしている。それは研究者として必要だ。些細な意見に気を散らし、考えられなくなるようではいけない。場合によってはいろいろとやかく言われるだろう。でも、批判するなら正当な手続きを踏んでするべきであり、それをしないものは耳を貸す資格もない。今まで書き込まれてきたものは大してその価値がなかった。だから、耳を貸さないだけであり、遣り取りとして不十分なのは相手だと信じている。実際におもしろいアイデアなら私は取り入れるし、画期的なら信じざるにいられないだろう。要は正当なプロセスを踏むかとうか。それも知らない無能なキチガイメンヘラに付き合っている暇はない。少なくとも1対1の人間として向き合う場合は。
 
追記:
そもそもね、私がこの問題に関心を寄せるのは、sharakuという人間が聞いたところによるとうつ病を患っており、そして現在はどうなのか不明だが、そういう意味でかわいそうという感情があり、それでいろいろ気遣っていたつもりなのだが、今回のこの有様にかえってその分だけ裏返したように私を攻撃対象とし、恨み晴らしとするのがなんともいい気分がしないからでもある。私はそんなにやさしくないですか?思いやりがないですか?個人的に注意しているつもりなのだが、彼の言葉は本当なのか嘘なのか或はなにか意図があるのかもわからないが、そういう言葉は気にならないでもない。個人的にとても注意深く相手の話を聞いていたつもりだし、コメントにはとても慎重に考えをめぐらして書いてきたつもりだし、なぜそういう対応になるのかがいまいち理解できない。なぜ?私が間違っているのか?正当な手続きを踏み忘れましたか?個人的にとても注意深くやってきたつもりなので、全然注意深くもないように見える相手の挙動に、なにもしないではいられなくなった。またここで少し行動するのもなにか得られるところがあるだろうと思い行動した。
 
基本的に科学者というのは、批判には慎重に耳を傾けて対応しなければならない。それは科学的方法にある通り、正当性のある批判にたいしてはちゃんと答えるのが科学の原則でもあるからだ。だから私はひとつひとつ慎重に耳を傾けてきたし、彼らが語ろうとする意味を積極的に言葉少ないながらも理解しようとしてきた。たった数文字のなかから何を語ろうとしているのか意味をどんどん推し進めて考えるのはなかなか難しい。ちょっとずれていれば惜しげもなく批判がくる。それで私は常に怒られるのである。
で、相手の状況を知ればそういうのももっと具体的に理解できるようになると思い、聞いたのだが、かえって気分を損ねてしまった。私の何が悪かったのだろうか?一体相手は誰だったのだろうか?私は間違ったことをしたのだろうか?ならどこが間違っていてどうすればよかったのだろうか?
 
なんだかさっぱりである。会話も通じない。世界ってこんなに不可解に作られていたのか?そんなことを思った。
追記2:
私の周りには敵が多いのだろうか?なぜ?真実を貫こうとしているだけなのに?誰も問題点の核心を指摘しないのに?それとも単に環境が環境なだけ?まったく匿名というのはとても面倒なものだ。ねえ私の何が悪いの?最低限の頭のあるひと教えてくれない?周りが理解できないのは頭がないだけなのか。それとも?無難なことを書くのは誰でも出来る。しかし、真実を見つけるためには突き進まなければならない。こんなの常識だろ?こんなことから確認し教えなくちゃいけないの?コメントのレベルはそんなもんだったよ?ただ純粋に疑問に思った。それだけ。あまりに理解されないのでとても不審に思っている。まともな指摘もないし。少なくとも全然説明しようとしないし、自分を公開しようとしない。そんなんでなにができるの?それって「常識」レベルじゃない?それがわからないってことは「頭が悪い」といえるんじゃない?ねえ自称「頭が良い」さん。
とまあ、別に煽るつもりはなく、本当にそう思うのだけど、言葉尻の捉え方によってはなにか引っかかるひとがいるのだろうか。私が理解されないのは何故だろう。相手は矛盾のあることばかり言うし、本気でいっているとは思えない。だとしたら、本当になにか異常がある。本人のためにもなにか対応を練ったほうがいいと思う。あるいは、何か意図的なことで私に粘着していたのならその意図を知らずにはいられない。個人的には何か意図がありそうだからそれを知ろうと慎重に推し量っていたのだが、なかなか難しい。私が間違っているのか?どうなのだろう。単に相手が悪かっただけなのか?科学者は批判に慎重にならなければならないから、そういう意味でも気になる。いろいろ不可解な世の中である。
追記3:
寧ろ勿体無いから教えてやらないと思っていたけど、この度、本人のためにも明け透けに評価を述べよう。RHとやらは普通に頭が悪いと思う。一流と呼ばれる中高一貫校に通っていたようだが、本人は落ち零れであり、実力の無さを自覚しているようだ。そうでなくてもそういった要素は文章を見て散見される。こんなもの態々教えてやらないと思ったが、いい機会だから書いておくとそもそも物事の理解が浅すぎる。狭すぎる。そんなもんで私に上から意見するのがあほくさいと思えるほどだ。中学生並の思考もできないのではないか。なにか事情があるような気がする。そもそも発言の意図が不明である。なんで望んでもしないことを勝手に喋りだすのか。しかもピンとこない否定的な文言で。それの自覚がないようなら本当にまずいので直したほうがいいだろう。というか世の中そんなに甘くないよ、とニートがいっておく。ニートといえど、すべてにおいてあなたを下回っているというわけではないということを全職業などにおいても通じるということを伝えておく。他人を見下しているようだが、実力はどちらが上か、そういうことを考えたほうがいいだろう。何も試験の点数のみが実力ではない、などと至極当然のことも自称一流のひとに言わなければならないのが残念である。
あと、sharakuは本当におかしいと思う。認知症になった老人の如く会話がおかしいのにお気づきでないだろうか。ならば早急に対策を考えたほうがよろしいかと思う。それを危惧して前のエントリでいろいろ書いた。何も根拠がないことから悪口のようなことをいっているわけではない。それと本当に意味のない悪口など言わない。これを知れば相手にとってもなにかよい方向に改善できる切っ掛けとなることを期待していっている。それと、本当に実力があるのであれば自分の力で言葉で表現して相手を敬服させてみたらいい。あなたの説明能力では絶対に他人を尊敬させることはできないだろう。少なくとも私には小学生以下の遣り取りしか出来ない変人にしか見えなかった。私を見下して前足で砂をかけるようなことをしていたが、本当にそのような位置にあなたがいるのかは客観的にみて疑問である。あまりそういう態度はやめたほうがいいだろう。人間として。別にあなたの実力が知れ渡って認知されてるわけでもないし。*追記:私からみれば軽度発達障害の疑いもある。それなら辻褄があう。
軽度発達障害(けいどはったつしょうがい)とは、発達障害のうち、知的障害を伴わないものを指す。アスペルガー症候群(高機能自閉症)その他高機能広汎性発達障害、LD、ADHD等がこれに当たる。軽度とはあくまで知的障害が軽度もしくは存在しない(すなわち総合的なIQが正常範囲内)ということで、障害そのものが軽いわけではない。むしろ知能指数が低い方が予後(社会適応)が良いとの指摘もある。しかし、軽度は知的障害の程度ではなく、障害の程度を示す等の主張もあり、その意味するところは共通認識に至っていない。したがって文部科学省は、2007年3月15日、「軽度発達障害」という用語は使用しないことを表明した。障害と健常の境界領域に位置するため、見た目には発達上の問題を抱えていないかのように見られるが、そのため、障害者認知をされにくく、「わがまま」「性格が悪い」「常識がない」「親の育て方が悪い」とのいわれのない非難に晒されやすい。適切な療育を受けられないまま、成人するケースがほとんどである。
こういうひとにまともに会話しようと思っていたのが間違いだったのか。人格障害、精神疾患そう考えるといろいろ辻褄があう。彼が身の上を話そうとしなかったのも。私と共通点があるといったのも。
それと、私がこういうのを書き始めたのにも理由がある。ちょっとね、上下関係というものがなんだか馬鹿らしく思えたからでもある。東京大学を見てきたが、そこのひとたちは必ずしも尊敬できるものばかりではなかった。寧ろ悪印象を与えるひとたちもいた。そういうひとたちは私を鼻で見下して後ろ足でけるような目つきで見るが、そういうのに腹が立った。そんなに試験の結果が人間の価値を決めるのか、人間を前足であしらうのが人間として許されるのか、そのひとは本当に実力があるのか、私の全てが本当に劣っているのか、疑問だった。少なくとも尊敬はできないようだった。そんなひとに見下されるのは本当に嫌だった。こんな人間なら私にだって勝つところはある。少なくともこのひとに価値を全否定されるほど、人間は浅くできていないし、人間の力はそんな簡単なものでは決まらないということを強く思った。このひとにだって出来ないことがあるし、偏差値がとてつもなく低い人たちでもこのひとよりずっと優れた力を見せる場面があるだろう。だから、そういう人間に対して本当の世界というものを伝えたかった。自分たちが如何に無力で狭い視野で見ているのか、それを伝えるために、今回はこのような自称「上の人間」の奴らの本性を暴こうという方向になった。なんだ知ってみれば大したことないじゃないか、それと同じように、世の中も上の人間は自分が能力があるものと威張っているが、実際は人間それぞれの力は強く、そんな世間知らずで視野の狭い人間たちには理解の出来ない価値基準が存在し、そういうもののお陰で実際の世界は上手く毎日が回っているのだということを伝えたかった。
わかったかい、自称頭いいひとたち。そんなものはペーパーで役立つ知識でしかなく、本当の世界はもっと深い知見と経験によって成り立っているということだよ。君たちが何を学んできたのかは知らないが、こんなちょっとしたこともできないようでは、「頭」いいとはいえない。本当の実力者は実際に上で活躍しているだろうし、見せ掛けだけの力で張り合うようならすぐに襤褸が出るだろう。本当に力のあるもののみが、本当に上の世界に行くことが出来、それで世界が回ってるんだよ。実践力のない知識など意味がない。簡単な会話もできないようでなにを「頭いい」と主張したいのだろうか。そもそもここではそんな価値基準は通じない。頭いいなら頭いいことを自分の力で証明できるようにならなければ、誰もついてこないだろうね。それが僕の実力主義です。別に大したこといっていないんだけど。
*あれは議論ではなく講義に近い
何故あのようなひとたちに私が見下されるようになったかという心理的な要因にも興味がある。

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現象考察

 
 
今回の問題で何故話が縺れたかの考察。
1、そもそも問題の発端とは?
私がコメントしていただいたひとに自己情報の開示を求めたことから始まる。しかし拒否され思わぬ展開に陥る。
2、何故私は話に入り込んだのか/興味を持ったのか
そもそも、彼らは自称「頭がいい」「上の人」の振る舞いをし私を見下すような/見下すとも取れる挙動をしていた。私が丁寧に言葉を与えても返ってくるのは焦点のずれた”揚足取り”であった。
そもそも何故私が興味を持ったのかというと、どうしてそういう状況に人間は陥るのかという分析と、私の遣り取りで彼らの思考/根本意志が暴けるか(明らかにできるか)というのがあった。インターネットという匿名性の強い媒体のなかで、直接情報を引き出さなくても、なんとか間接的な方法で理解できないものかというのも私の研究課題であった。
まず、私が「高学歴」に興味を持っていたのも始まりであった。高学歴とはどういうものでどういうひとの特徴があるのか、といのも研究課題であった。それで私は高学歴とはこういうものだというある程度のステレオタイプを築き上げたなかでの、自称「頭いい」らしいひとたちの登場でそれがちょっと揺らいできたため、慎重に対話に参加することになった。それ以前に折角ブログにお越しいただいたのだから丁寧に対応しようというのは言うまでもないことだろう。何故返信するのかなどという極当たり前の複雑な要因がある事象を訊くのは今更愚問であるといえる。
このような特異な場で現在起こっていることを私が興味を持たないわけがなかった。あまりに不可解なため探ろうとしていた。思うに、私の中で「高学歴」ならこんなこと(当たり前の如く)できるだろう、というのが彼らの挙動から揺らいだため、彼らについてより詳しく知ろうと思った。彼らは私を見下すようだが、私からすれば何故こんなことも分からないのだろうと、人間として基本的な対話もできないため、彼らの実像を疑った。彼らからすればその点で「できない」のは別におかしくないと思われているようだが、私にとっては極簡単なことさえできない単なる一般的「あほ」にしか見えなかった。というのは、私はひとりでじっくりと考えてくる期間が長く、その意味でなぜこんなこともわからないんだろうとある意味ショックを受けたのだろう。あまり人間に触れる機会がないから、あれこれ思ってきた高学歴像が揺らいでちょっと始めから見直し不信感を募らせたということだろう。
正直なところ、言語的表面的に見れば、ここまで思慮深くないひとが自分が「頭いい」と主張し、私を見下し、私に上から意見するのは驚きであった。最低限の遣り取りもできないのに、それで私に意見する位置にいるのだろうか。思考があまりに拙く本気で純粋に驚いた。
3、あの場で足りなかったもの
もし本気で私と真実を探り合って議論しあっていたのなら、足りないものはやはり多い。
科学的方法
Scientific method
詭弁
科学哲学
統計学
推論
誤解誤謬
認知科学
Cognitive science
彼らがどれだけこういうのを考えながら議論に臨んだのかは考えなければならない。またそもそも議論と呼べるのかも疑念。また始めから私にとって悪いようにしようとプログラムされていたならその了見ではない。また単純に言語的遣り取りのみの側面で問題の要因を把握しようとするのは無理である。更にいろいろな観点からの分析が必要。またインターネットによるそれは情報的に困難である。
3、感想
会話の目的性が不明であり、それを間接的に推し量ろうとしたが情報性が足りなかった。これは課題である。
また、分かり合う能力の自分の欠落に「相互理解」の難しさを感じた。もっとヴァリアスな面からこの問題を考えていかなければならない。
そもそも彼らは私より上だという自認/自覚があるから私に意見しようと思ったのだろう。そういうふうに試験的選抜を経験したひとほどそうでないものに対して無条件的「見下し」があるのかもしれない。彼らが怒っている理由としてもそういう意味での下克上的なものがあるのかもしれない。またこれは結論には不十分である。
4、今後の課題
この現象に秘める問題点は深い。実にいろんな要素が擦違いとして原因にあるだろう。今後はまた新しい視点を見つけて解釈の幅を開拓していきたい。
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