親を憎むということ
いちど言っておきたいことがある。以前にもこういう話をしたが、すると毎回よく理解も出来ない馬鹿な人間が結局状況も理解せずに私を無条件に責めて終わり、ということになった。求めてもいないようなコメントで私を罵るのである。正直これは毎回不満が積もる。恐らく問題はそう表面的なものではない。恐らく文面で見ただけの浅い問題ではないし、本当に主張したいことは表面的に表れるものよりずっと奥深くにあるのだ。書いているほうももう大人なのだから一方的に相手を責めることはないだろうし、いってもどうにもならないことを何時までも愚痴ぐちいい続けるわけではないだろう。要するに、共感を求めているのだ。もし同じ状況だったら、誰だって同じように思うだろう。なのに、せっかく内情を暴露すると、返ってくる言葉は「何時までも親のせいにするな」「甘えてんな」「自立しろ」とかピントがずれた意見ばかり。そんなのは分かってんだよ。そういうコメントがつくのも予想がついている。しかし、それでも書く目的はそういうことではない。「そうだよねー」「なるほどね」と我々の経験に少しでも同情し、共感して、気持ちを共有してくれることを望んでいるのだ。何故なら、大抵の場合こういう話をすると条件反射的に「んなこといってんじゃねー!」と無条件に我々を否定する言葉が浴びせられるからだ。起こったことは事実なのに、何故私たちはこんなにも受け入れられないのだろう。理解されないのだろう。それが小さい頃からずっと不満でずっと積み重なってきたのだろう。だから何時までも過去のことを引き摺って大人になっても親がどうこうと主張するのかもしれない。そういう心理の流れを理解しなければ老年になっても同じように主張するかもしれない。要はちゃんと主張を理解してやることである。
それで、私は今でも親が完全だとは思っていない。そもそも「完全」な親など人間としていないだろう。まあそこまで求めているわけではない。何らかの原因で親に不備がありそれが原因で欲求不満が子供のときから積み重なり、結局は子供も精神を冒すほど親を憎むということに繋がりかねない。
こういうものを見ていた。質問者が私と重なるようではっとした。要するに重要な点は以下である。
親を憎む人はいますか?
私は憎んでます。親がもっとしっかりしていればこんな事にはならなかたtからです
ろくな育て方も出来ないくせになぜ自分を生んだのかと日々思ってます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012835055
このひとの主張は強ち間違ってはいない。どうしてまともに育てられないのに生むのだろうか?アフリカの貧困地域の生まれてくる子供は同じように思うのではないだろうか?また先天的に異常をもって生まれてきたら恨む先は親以外誰にすればいいのだろうか?(だってそんなの生き地獄だろ??)
思うにこの論理は確実に正しい。そこは認めてやるべきなのである。しかし多くの「恵まれた」?人間はそこすら認めず「何時までも親を頼ってんじゃねー」とか「ぐだぐだいってねーで自立しろ」というだろう。だから結局不満は積もるばかりで何も解消されない。折角自分を許してこういうことを喋っているのに、全然その真意が伝われないから一層のこと欲求不満は溜まるのである。
思うに要するに、ここでの問題点はこれだけではないのだろう。多分自分が親との関係性を切れるのであれば多分意識的にも親から分離し、こんなことぐだぐだいってなど自分でもいないだろう。要するに、何か決定的な因果が今にも続いていてそれをまだどうにかする手段が見つからないから親への欲求不満が未だに薄れず最後まで残るのだろう。例えば、一生を左右することが親の手に掛けた状態のときに決まってしまった場合である。例えば教育とか、事故とか、病気とか、離婚とか、借金とか、そういうものである。これは忘れようとも忘れられない一生続くほどの傷なのである。だから何時までもそれを生み出したものに対する不満が消えず残るのである。
この点、理解できないひとはできないだろうし、できないならそれはその点での「関連性」が殆どない状態だろうから、この記事に構う必要は無い。結局、きっても切れない因果が後にも残るから、とりあえず親が悪い、というのを認めて欲しいという心理が親を責める、という行為に現れてくるのだろう。だからといって、別に親を責めても何にもならないとは当人も知っているだろうし、そんなことは問題ではないのだ。要するに自分の”感じ方”は人間として間違っておらず、親がそういう状況であればどんな人間でも同じように思うということを、一般的に普遍的に認められないもどかしさや蟠りというものが、一層のことこの問題の気持ちに入れ方に拍車を掛けるのだろう。
この質問者は後にこういう文を付け足している。
私はその親よりも嫌いな人がいます。
それは自分自身です。その親に甘えてきた自分はもっと情けない。
ちなみに家の父親は離婚していません。
もう一家揃って崩壊しちゃえばいいのに。
すいませんただの愚痴で。読んでくれてありがとう。
この本人もこういう系統の”愚痴”が認められないということを知ってこういう文を付け足しているのだろう。このひと自身も親との関連性を切り離したいと自分でも思っていることが分かる。そういった努力も認めず上の質問ページのように、「いつまでもぐだぐだ..」とか「親は素晴らしいですよ」なんていう馬鹿げたコメントをするから更にもどかしく腹立たしくなってくるのだろう。
このベストアンサーに「でももう子供じゃないんだから」とあるが、子供から成長しても変わらないものがその「関連性」の因子ならばこの回答には少しも満足できないだろう。子供であるか子供じゃないかなどその点では関係ないのである。それと「親のせいにすると楽」というのも聞き厭きていて嫌気が差すだろう。あまり効果的なアンサーだとはいえない。
それともう一つ重要な要素として、親をなんとかしたいという建設的な観念もまだある。何も文句をいうからといって現状をそのままにするわけではない。一般的に自分の考え方が認められたならばそこから「光が射す時間」である。結局問題を有耶無耶にしたくないのだ。親の間違いはそれはそれでその通りであり、だからこそ、建設的な思考を可能にするよういろいろ考え始めようという見方も生まれてくる。始めに罪を認めなければそれを越えて進むことはできないのである。もし親が私の罪を認めるのであれば、私は喜んで今後は親を助けるよう働くであろう。しかし親は未だ私に問題点を認識して謝りすらせず、問題をうやむやにし忘れ去ろうとしているのが見える。それでは許せない。しかも、有耶無耶にするという態度が考える勉強においては対極に位置する重大な誤りの概念だからである。問題を有耶無耶にしてはいけない。はっきりと片付けてそれから前に進まなければならない。そういう意図を持って私はこれまでの記事を書いてきた。私の親は概して全てを曖昧にしたがるのである。だから私は断固としてそれを拒否し徹底して問題点を洗い出そうというスマートな考え方を貫こうとしている。勿論色んな意味でこれはエネルギーを要するしいろんな意味で認められないことも多い。だからこそ私は個人で強固として生きていかなければならないと思っている。
それを理解せずに以下のようなことを書く人間もいる。
私のダーリンは母親を憎んでいる。
母親のどこが嫌いか。借金を作って自己破産したこと、母親の兄弟に迷惑をかけていること、だらしない性格等。しかし、この借金はダーリンを含む子供達の養育費が大半だったのだし、離婚して一人で稼いでいけなかった結果だろうし。
なのに、ダーリンは、母親は料理らしい料理を作ったことなんてなかった。だとか、学校の提出物なんてのもいつも遅れてた。などと当時の不満を今でも言う。
ダーリンの母親についての思考はとても子供、幼稚なのだ。
私は他人だからダーリンの気持が分からないのかもしれないが、このお母さんのことが不憫でならない。離婚して一人で子育てなんて、到底向かない人だったんだろうに、と。
しかも今このお母さんは病気で不自由をしている。
だけど、ダーリンの態度も気持も変わらない。
ダーリンは自分の母親を憎む一方、理想の母親像を強く持っている。母親とはこうでなければならない。というもの。
私はそれが怖い。いつか私が母親になったら、、。
たいていのことには柔軟な思考の持ち主であるダーリン。親離れできるのはいつだろうか。今は見守るしかないのかなぁ、、、。
http://blogs.dion.ne.jp/mizmo/archives/6582055.html
結局こいつの主張はダーリンを「親離れできていない幼稚な思考のあほ」とでも言いたいのだろう。問題の本質と主張の真意を理解されないダーリンはまたこれに憤慨するだろう。「認められない」の積み重ねが殺人まで犯す精神病の人間を生み出す要因となる。私も認められなければとんでもない方向に動くことも予想できた。
多分理想のなんとかじゃなくて、単にダーリンは認められないことを強く根に持っているのだと思う。理想的なものを求めるのではなく、単に現実的に親がその問題点を認めようとしないことに何時までも腹を立てて根に持っているのだろう。恐らくこの輩がママになったときは、それほど大きなものを要求するということはないように思う。問題は、何故親を恨んでいるのか、という点である。親の状態の如何など関係ない。問題点は全然解決していないからである。まずその親を憎む理由を理解し、どうしたらいいかを考えるのがこのダーリンの心を解放す唯一の術のようにも思う。表面的な理解で当人を責めても何にもならない。寧ろ発狂してお前を殺しかねないぞ。最後の一言には特に。*
ということを一度まとめておくべきだと思った。別に理解できない奴のコメントなどいらない。本質は誰にでも理解できる内容のはずである。要は「親との現在にも到る関連性」である。それは被害者が子供か親かなど関係ない。また親によって精神を病んでしまったひとがいるならばそれは立派な親との嫌でも切れない関連性になる。とりあえず憎むのは仕方ない。どうしたらこういった感情を解放できるのかちゃんと考えなければ、問題の本質の改善には繋がらないどころかかえって反感を抱かれ発狂し殺されかねないよということを伝えておく。
*というか大抵こういうひとのほうが自立心は強いような気もする。私も人に依存するのが嫌いである。「せい」にするのではなく事実だから指摘するのである。それが認められない歯がゆさと苛立たしさはこの上ない。問題解決のステップのために早くこの点において共感が広まればいいなと願う。
それとひとつ、「お前の親は私の親じゃないし、私の親はお前の親ではない」こんな簡単なことも分からないような輩がいるので一応補足しておく。要は、経験したこともない状況をどうして想像できるのか?ということだ。私はお前の親を知らないし、お前は私の親を見たことすらないだろう。何故一方的に価値判断ができるのか?親といっても人間の数だけいるんだぜ??
結論:
だから早く認めろっていってんの。
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